さて、コメルシオ広場とテージョ川にまではとりあえず来たので、次はサン・ジョルジェ城というところに行き、リスボンの町並みを上から眺めてみることにした。
バイシャ地区(低い土地という意味)の東側に、“アルファマ地区”という丘がある。この丘にサン・ジョルジェ城がバイシャ地区を見下ろすような形でそびえているのだが、アルファマにはサン・ジョルジェ城の他に、「リスボンの下町」と言われる庶民の迷路のような町並みもあるところだ。
とりあえず、私たちはサン・ジョルジェ城に向かった。私たちは空港バスに乗るとき、市バス、市電、ケーブルカー、サンタ・ジェスタのエレベーターに3日間乗り放題のチケットを買ったので、コメルシオ広場からバスで向かうことにした。
コメルシオ広場からサン・ジョルジェ城までは、距離にしたら短いので歩きでも行ける(ただし丘を登って行くので体力がない人や時間がない人はバスの方がいいかも)。実際、2005年に再びリスボンを訪れた時は、歩いてサン・ジョルジェ城まで登った(詳しくはポルトガル旅行記参照)。アルファマの町並みを見られるので、歩いていてなかなか楽しかった。
サン・ジョルジェ城は、カエサルのローマ時代にローマ人によって要塞として建設されたという。その後、歴史の中でイスラム教徒やキリスト教徒の王などの持ち主の変遷を経て、今は公園となっている(私が行ったこの時は入場無料だったが、2006年に再び訪れた時は、入場料3ユーロとなっていた)。
要塞だからか、アルファマの小高い丘の上にそびえたっているこの城跡は、静かに今もリスボンの町を見下ろしている。城の敷地内に入ると、城をぐるりと囲むような形で公園らしく木々が涼しい木陰を作っていたり、石畳の敷地が続いていたりして、美しい景色が広がっている。そしてその端っこに行くと、リスボンの町並みがすぐ下に見える。塀に寄りかかり、そこで思う存分リスボンの町並みを楽しんだ。
リスボンの町の家々は、オレンジの屋根でできていて、目の前にはオレンジの町並みが広がっているのだ。そしてテージョ川が流れていて、少し下ったところには川に4月25日橋という立派な橋がかかっている。とても絵になる景色であり、心ゆくまでその景色を楽しんだ。
リスボンの町を飽きずに眺めている私に、公園の木々が心地よい木陰を作ってくれ、顔に当たる風がとても爽やかだ。
日本とポルトガルは、歴史の中ではなかなか深いつながりがある国だ。なのに、今の日本にとってポルトガルはとても遠い国のような気がする。他のヨーロッパのフランスやイタリアなどの国に比べたら、情報も少なく、日本でポルトガルのことを紹介されることは少ない気がする。
ほとんどポルトガルに関する知識のなかった私が、このサン・ジョルジェ城のところからリスボンの町を初めて眺めた時、ちょっとだけポルトガルとリスボンのことを知ることができたような気がしたのだ。
しばらくの間、リスボンの町並みとサン・ジョルジェ城の中の散歩を楽しんだ後、またバスに乗ってバイシャ地区まで戻ることにした。そろそろお腹もすいたので、夕食をとろうとロシオ広場周辺をウロウロした。
結局ロシオ広場に面している“ピクニック”というレストランで食べることにした。ポルトガルは、嬉しいことにステーキやご飯やポテトフライがセットメニューのように大きなお皿にのっている料理が多い。ここでそのような料理を頼んだ。ロシオ広場に面しているので、どちらかというと観光客向きであまり安くない店なのだろうが、一人1200ポルトガル・エスクード(約900円)くらいで、ボリュームたっぷりのものだった。ステーキはけっこうおいしく、満足できる内容であった。
食事の後、ペンサオンに戻る。ロシオ広場からすぐ近くなので、とても便利^^ポルトガルの夜も、かなり遅くまで明るく、21時過ぎに少しずつ暗くなっていくような感じだ。夏好き・ラテンの雰囲気大好きの私には、この1日が長い夏の日はとても嬉しい。遅くまで遊んでいられるような気がして、得した気分になるのだ。
しかも、中心地から宿もすぐ近くなので、宿に帰る時も安心である。今日はまだまだ旅の初日なのであまり無理をしないよう早めに帰ったが、明日からは楽しみである。
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